2012/02/23

001 時間の流れる速さは一定?

まず、キミの家の時計とキミの腕時計をぴったり合わせる。
そして近くの駅に行って、いちばん高い切符を買って、電車に乗って一番遠くの街まで行く。
街について、電車を下りたら、キミの家の時計が今何時を指しているか、電話して聞いてみよう。
キミの腕時計とキミの家の時計とはぴったりあっているだろうか。
キミの家の時計も、キミの腕時計も、壊れていないとして、だけど。


こたえはノーだ。


例えば、電車に乗ったとき、家の時計が8時を指していたとしよう。腕時計も8時を指している。
そして、電車を降りたときに、家の時計が9時を指していたとしよう。でも、そのとき、腕時計はまだ9時になっていない。8時85分とか58分とかを指しているのだ。

それはなぜか。
それは、速く動く電車の中では、時間がゆっくり流れるからだ。

電車の中では時間がゆっくり流れる。

だから、キミの腕時計は家の時計より、「ゆっくり」進むということだ。

これは、「時間の流れる速さは、どこでも同じではない」ということだね。

ただし、さっきの例えは、これは、電車がものすごく速く、光の速さ(約秒速30万km)くらいで進んだときのお話。
実際には、200kmの新幹線に1時間乗ったとしても、時計は1兆分の1秒しか遅れない。
だから、電車を降りたときも、腕時計の針は家の時計の針と同じ時間を指しているかもしれないね。

2012/02/19

000 相対性理論を読んでみます

知人の彼女に、「相対性理論って何ですか」って聞かれて、何も答えられなかった。
僕は元来、科学系のプロではない。しかし、現在、末席とはいえ科学系に身を置いている以上、外から見れば科学系だ。
それが、かの相対性理論について、何も語れないのというのは、あまりにも不甲斐ないじゃないか。


ということで、ちょっと読んでみようと思います。
雑誌「Newton」で特集を見つけました。


1回2ページくらいのペースで読んでいきたいと思います。
読み終わったら、要約してUPしたいと思います。
興味がある方は、おつきあいください。

2012/02/14

HAPPY

僕はしあわせだ。

数学の問題を解くことが、僕にとっては自分の武器をみがくことになる。

そこにはなんのストレスもない。
ただ、問題と格闘すればいい。

楽しみながらできることが、自分を鍛えることにつながっている。
こんなにしあわせなことがるだろうか。

2012/02/13

東電に国の資金支援が出るかもしれない


東電に約6900億円の資金支援が出るかもしれない。
これが出ると、国から東電へ流れるお金は合計で1兆5800億円になる。
国からって表現するとあいまいだけど、それは国民が税金として納めたお金だよ。

僕の貧弱な頭ではどうとらえていいのかわからない。

「3.11が起きた。賠償責任が発生した。給料を出した・ボーナスを出した。賠償するのにお金が足りない。だから、公的資金(他人のお金)を使おう。」こういう構図にしか見えない。

「ボーナスが出るのは変だ」とか、「社員全員最低賃金にしろ」とか、そういう方向での感じ方をしてしまう。だけど、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうことはまぁいいのだ。

問題は、「どうとらえるか」。

この現象を、自分にどう取り込むか。
人生哲学にどう組み込むか。
行動理念にどう組み込むか。
そういう、自分の行動・発言・考え方の基盤となる部分にどう組み込んでいくのか。

そして、僕にとっては「子供たちにどう伝えてるか・どう答えるか」だ。

ちょっと考えてみたけど、どうも、ポジティブな方向には行きそうにない。
癒着とか黒いカネとか、そういう大きな悪いヤツを想像してしまう。
「社会がそうなら、自分にも考えがある」とか、とっても行きたくない方向に行きそうになる。
ネガティブな方向に考えてしまう。
http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201202130040.html

2012/02/02

踊るかつお節


ご飯にかつお節をのせて食べるのがマイブーム。
上から昆布つゆを少々かける。
手軽なタンパク質摂取方法としてやり始めたのだが、うまいのでハマってしまった。

ふと、子供のころ、熱いものにのせる度に、かつお節が踊るのがおもしろくって、しばし見入っていたのを思い出した。
あのころ、「こんなにおもしろくて不思議なのに、なんでお父さん・お母さんは何も言わないんだろうか・見ないで平気なんだろうか」と思っていたのも思い出した。

今では、僕もチラ見するくらいで、見入ったりはしなくなった。

これが成長だというのなら、結構さびしい。

「ありがとう」が言えなかった


後輩2人とご飯を食べに行った。
会う前、電話で「何が食べたいですか?」との質問。
「もんじゃとかどうかな」と答えた。

僕の希望が叶って、3人でもんじゃを食べた。


よく考えたら、僕が答えてから店を調べてくれたんだった。
それでなくとも、僕の希望を叶えてくれたのだった。

それなのに、それに対して「ありがとう」って言ってない。
なんで言えないのかなぁ。